タイに住んで早10年。移住のきっかけと、タイへの想い。

CULTURE17.08.13

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タイに住んで早10年。移住のきっかけと、タイへの想い。

こんにちは、さやかです。

タイに移住して10年も経つと、移住のきっかけは何がだったのか、住み続ける魅力は何なのか?と聞かれることがあります。

そんな流れから先日、自分でも改めて振り返ってみたので、書いてみたいと思います。

タイへ魅力を感じている方への参考になれば幸いです。

 

自分の居場所はどこ?

私は和歌山の田舎町で生まれ育ちました。比較的個性的と言われる子供だった自分は、少し変わった目で見られることが多く、「出る杭は打たれる」という文化に幼い頃から違和感を感じていました。

高校入学と同時に上京し、モデルという憧れの職業に就くことができたのですが、それでも何となく「自分の本当の居場所は一体何処なんだろう?」という想いが常にありました。

それは今思えばちょっとしたプレッシャーのようなもので、東京に居る自分は「いつも頑張らないといけない」「素敵でキラキラした女性でいないといけない」と思うようになっていたからでした。そんな息苦しさを感じるようになってから、東京はきっと私の居る場所では無いのかも知れないと思うようになっていました。

 

タイとの出会い

しばらくして姉がタイに嫁ぐことになったことで、私もタイに訪れる機会に恵まれました。

当時、私の中のタイのイメージといえば、日本とはかけ離れた不便な国という感じだったので、初めて首都バンコクに足を踏み入れたときは本当に驚きました。東京で目にしていたような高いビルが建ち並び、車やバイクがひしめき合い道路は毎日混雑。東南アジア最大級を誇るといわれるショッピングモールがあったり、多くの外国人が活気に満ち溢れ、衝撃を受けました。

その後も度々足を踏み入れるようになった私は、少しずつタイの文化、タイの人々との接触を重ねていくようになりました。

 

国民の気質

タイ人の口癖とも言える「マイペンライ」という言葉 (「大丈夫~。何とかなるさ~」という意味)は、タイ人の気質や精神をよく表しており、今でも私がタイで最も心地よさを感じる言葉でもあります。

何が起きても、その日その日を一所懸命、明日のことなんて考えないで今を生きるという想いが込められており、ある意味非常に逞しく、当時の私には大きなカルチャーショックでした。そしてこんな風に生きれたらきっと楽しいんだろうなと、心が救われた気がしました。

どんな風に使われているかというと、例えば待ち合わせをして、タイ人の友人が30分以上遅れてきたとしたら、私に向かって「マイペンライマイペンライ~」と笑顔で言ってくる….日本人の常識的な考えとしては、遅れた方が待たせた相手に対してまず「ごめん!」と謝るのが一般的だと思われますが、ここタイでは「遅れてきたけど許容範囲だよね~?大丈夫だよね~?」と言った感じ。

30分も待っていたら普通はちょっとイライラしてきますが、この言葉をかけられると、何だかクスッと笑ってしまい、イライラも消え去ってしまうのです。

とはいえ実際は、時にその「マイペンライ」で片付けられる事にイラッとすることもありますが(笑)私はこの言葉にもう10年近く救われてきているように思うのです。

 

移住のきっかけ

そんな経緯でタイに少しずつ心地よさを感じて行き、ついにある日こう思うようになったのです。「ひょっとしたらここが私の居場所かもしれない」と。

そうと決めたら早く、私は23 歳でタイ生活をスタートさせました。ラッキーなことに、モデル時代に学んだメイクアップ技術の経験を生かして、バンコクでヘアメイクアップアーティストとしてお仕事をいただけるようになりました。

その後、今から7年前に現在の夫になる日本人男性と出会い、縁あって1年半後に結婚。半年後には子供を授かることができ、現在は二児の母になりました。

まさかこのタイで家族をもつとは私自身が全く予想もしていなかったことでしたが、とにかくこのタイの人達に支えられ、育児と家庭、仕事の両立を「マイペンライ精神」で乗り越えられているように思うのです。

 

こんな流れで在住早10年が経ちましたが、タイという国に私は感謝の気持ちで一杯です。

今後は、タイの魅力をご紹介していくことで恩返しをしたいと考えています。

 

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